こんにちは海野ちょうすけです!!
今日は先日紹介しました
『そこに、西行がいた!! ~西行が愛したまち 二見浦~』
場所:夢ぎゃらりい二見1F
期間:3月1日(金)~3月31日(日) 10時~16時
開催しておりましたので、さっそく行ってまいりましたぁ
ちなみに西行とは・・・?
西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) – 文治6年2月16日(1190年3月23日)
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
{ざっくりすぎるかな!?すべて説明すると長いのでおゆるしを}
でなぜ二見なのか・・・??
当地・二見浦は、平安末期の歌人・西行がその晩年、治承4年(1180)~文治2年(1186)の
6年に亘って庵を結んだ地であります。
西行は出家後、亡くなるまでの50年間、高野山をはじめ、吉野山、東山、嵯峨、小倉山、善通寺、河南町など、
各地に庵を結びましたが、現存している建物はなく、現在「西行庵」と呼ばれている建物は、
伝承からおおよその位置に当時を偲んで再現されたものです。
これに対して、二見浦安養山には、発掘の結果、安養寺と思われる遺構の近くに、
西行庵跡と推測される遺構が見つかっており、これは他他に類を見ない貴重なものであります。
西行が「確かにここにいた!」という厳然たる史実と、
この貴重な遺構が見つかったという事実の、日本史における重要性を再認識し、
後世に語り継いでいくべく、本展示を企画いたしました。
《実行委員長 奥野 雅則》
その遺構が展示してあります。
墨書土器:
墨書きがみられる土器は、すべて平安時代末期から鎌倉時代初頭頃の陶器で
器の外面の底部や体部に施されています
平安時代末~鎌倉時代初頭の“日本最古の漫画”として著名な国宝
「鳥獣人物戯画」を彷彿させるような人と蛙の描写画などは非常に珍しい。
このような資料がたくさん展示してあります。
西行がいかなる人物かを知らない方でも、
西行の人となりや存在意義と二見での生活のあらましを
わかっていただけるよう、
また、西行の生涯、並びに彼と二見浦との繋がりを一人でも多くの方に
知っていただき、それを当地の誇りに感じていただければと考えております。
《実行委員長 奥野 雅則》
ぜひぜひ二見にお越しの際には
立ち寄ってみてください。もちろん入場無料です
詳しい問い合わせは
「そこに、西行がいた!!」展 実行委員会事務局
TEL:0596-43-2231
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池の浦さくらの郷 旅荘 海の蝶
〒519-0601 三重県伊勢市二見町松下1693
【公式HP】 http://www.uminochou.com
【TEL】0596-44-1050 【FAX】0596-42-1711
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『 そこに、西行がいた!! 』 開催中
2013/03/04